(写真はイメージです)
「縁切寺満徳寺(えんきりでらまんとくじ)」は、群馬県太田市にあった時宗の寺院です。
鎌倉の東慶寺と共に、縁切寺として知られます。
縁切寺とは、江戸時代に離婚を求めて駆け込んだ妻を救済して、夫との離婚を達成させてくれた尼寺のこと。
男女差別が厳しかった当時にあって、不法な夫から妻を救済するという縁切りの特権が認められていたため、「駆け込み寺」とも「駆け入り寺」とも呼ばれました。
ただ、女性のための救済福利施設のように思われがちな駆込寺ですが、その実態は決して女性に優しい制度でも無かったようです。
入山も無料ではなく、入山中の生活費や経費を女性側が寺に支払わなければならなかったため、貧しい庶民では安易に駆込すらできなかったとのこと。
縁切寺満徳寺からは、男女差別を過去の問題ととらえるのではなく、現代の問題としても考え直すというメッセージを読み取ることができます。
現在、一見すると法的に男女平等が保証はされているようですが、まだまだ男女差別は残っています。
縁切寺はまさしく差別撤廃の原点ともいえる場所であり、現代女性にとっての縁切り、または縁結びの出発点でもあるのです。
江戸幕府を開いた徳川氏の祖とされる世良田義季が創建されたと伝えられています。
そのことから徳川氏の帰依を得、2代将軍・徳川秀忠の娘・千姫が豊臣秀頼と別れた後、縁切のためこの寺に入りその後本多忠刻に再嫁したといいます。
江戸時代には江戸幕府から朱印状も与えられていました。
幕府瓦解により、1872年(明治5年)に廃寺となりましたが、地域住民が本尊などの什物を守ってきました。
1992年(平成4年)、縁切り文化を伝える場所として、尾島町により縁切寺満徳寺資料館(現、太田市立縁切寺満徳寺資料館)が開館し、遺跡地には1994年(平成6年)に本堂・門などが復元され、遺跡公園として整備されています。
資料館では満徳寺の歴史や当時の離縁の手続きを勉強できるほか、満徳寺にゆかりのある徳川家の貴重な品々が展示されています。
ユニークなのが、資料館にある「縁切・縁結厠」。
昔からある縁切り俗信をよみがえらせたものだそう。
白い便器が縁切り用、黒の便器が縁結び用。
縁切札・縁結札をそれぞれに流しすことで、白黒をはっきりさせて、自分の人生を一歩前進させるという意味が込められているそうですよ。
また、毎月 「縁切りの日」と 「縁結びの日」が数日あり、この日にお札を流すとさらに良いそうです。
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