厄年には「厄払い」や「厄除け」をする人も多く、日本では一般的に浸透している風習の一つですが、災いが降りかかりやすい年齢を指す厄年とは九星気学の影響を色濃くうけているものです。
そんな九星気学の発祥の地は日本ではなく古代中国。
儒教の経典のひとつである「易経(えききょう)」や「五行思想(ごぎょうしそう)」などの考えを受け継いでいると考えられています。
まず「易経」とは、商の時代から蓄積された卜占の記録を集大成したものであり、宇宙の法則や人間の運命を解き明かす知恵が詰まっており、方位や天体の配置が人間の運勢に影響を与えるという考え方が示されています。
また、「五行思想」とは九星気学の根幹となる理論であり、「木・火・土・金・水」の五つの要素が宇宙や人間の活動に影響を与えるという考え方で、これが九星気学の星の属性にも反映されています。
九星気学ではこれらの古代の思想や理論に基づき、人間の運勢や性格を9つの星(方位)に分類し、それぞれの星が持つ特性や影響を見るものです。なお、これらの9つの星は、北斗七星を中心に配置され、方位や季節、天体の位置などによって決まります。
そんな九星気学の発祥は古代中国に遡りますが、日本においては、平安時代には既に星による占いが行われていたとされています。
日本に伝えられたのは聖徳太子の時代
に遣隋使や小野妹子らによってもたらされました。その後、推古天皇が初めて暦日を用いたことから普及が進み、平安時代には星による占いが行われていたとされています。
時が経ち、室町時代には神道者の吉田兼倶(よしだ かねとも)が基本的な理論として活用し、江戸時代には清から様々な書が入ってきました。江戸幕府を開き初代将軍となった徳川家康は、側近である天台宗の僧侶「天海」の方位学に従い、
政治や軍事に活用したとされています。
また、江戸時代末期には方位術を応用した「家相学」が発展し、大阪で活躍した家相家である松浦東鶏(まつうら とうけい)を父に持つ松浦琴鶴(まつうら きんかく)が
「九星方鑑学」の一派を創設しました。
その後、松浦琴鶴の門下である尾島碩聞(おじま せきもん)がさらに発展させ、飯田天涯(いいだ てんがい)が受け継ぎ、近代の基盤を築きました。
そして、明治時代から大正時代にかけては、園田真次郎がそれまで流行っていた九星方鑑学を体系化し、
「気学」として一般の人々に広く伝わり、盛んに活用されるようになりました。
このように九星気学は、古代中国を起源として日本で長い年月を経て発展した占いであり、九星気学として体系化されたのは江戸時代以降のことだとわかっています。
なお、現代において九星気学はどのように活用されているのでしょうか。
神社での厄年もしかり、九星気学は様々な分野で活用されています。その活用方法は多岐にわたりますが、ここではその一部を紹介します。
《住宅やオフィスの場所やインテリアの配置》
九星気学では特定の方位に特定の星があるとされ、環境の気の流れを整え、運気を向上させるために、建物の位置や家具の配置を考慮します。
《占いとして活用》
生年月日や時刻から九つの星の配置を読み解き、個人の運勢や性格を知る手段として用いられます。自身の適性や強みを把握し、適切な行動や決断をするためのヒントを得ることができるでしょう。
《ビジネスにおいての活用》
特定の星の特性や方位を考慮することで、ビジネスの成功や成長をサポートするための施策が取られます。そのため、経営戦略の立案やプロジェクトの計画、人材配置やリーダーシップの育成などに活用される場合もあります。
《人間関係構築として活用》
相性を見ることができ、自身の性格や相手の特性を把握するための手段として活用することで、より円滑なコミュニケーションや効果的な人間関係の構築につながるとされています。
このように、九星気学は現代において多岐にわたる分野で活用され、人々の生活やビジネス、人間関係の改善に貢献しています。良くないことが続いている、そのように感じているなら九星気学で自分を運勢を占ってみてはいかがでしょうか。
九星気学で相性や運勢が丸わかり!
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