星占いの大元である占星術。
その起源は紀元前2300年頃、現在のイラク周辺の古代バビロニアでは星を通じて「神の声」を聞く儀式が行われていたとされています。
太陽や月、惑星の位置や運行によって個人の運勢や性格を占う方法として数千年の時を経て現代に至るのですが、いったい日本にはいつの時代に伝わったのでしょうか。
日本では今から1800年ほど前の邪馬台国の卑弥呼の時代に「太占(ふとまに)」と呼ばれる占術があり、鹿の肩甲骨のひび割れの形で吉凶を判断し、神の言葉を承る役割を果たしていました。
そして、平安時代になると古代中国の陰陽五行説に基づき天文学などの知識を用いて吉凶を占う「陰陽道(おんみょうどう)」が政治制度に取り入れられていたのですが、それに対抗したのが、
ホロスコープのような天体の配置によって占う「宿曜占星術(しゅくようせんせいじゅつ)」です。
これが日本における占星術の始まりといえ、インド発祥の「インド占星術」と仏教の教えを融合させた宿曜占星術は、月の運行を基にして人々の運命や日々の吉凶を占うもので、インドから中国に伝えられて、密教を学ぶために中国へ渡った
弘法大師・空海によって平安時代にもたらされた
とされています。
実際には陰陽道においても、中国の陰陽五行説や天文学を基に天体の動きから吉凶を占う「天文道(てんもんどう)」があったことから、どちらも日本における星占いの原点といっても過言ではないのかもしれません。
その後、江戸時代末期には陰陽道や宿曜占星術などの占いブームとなりましたが、欧米化を押し進める明治政府によって、迷信や呪術を追放する政策が推し進められ、政治の場からも占いの姿が消えましたが、庶民の間では占いの人気が続いていました。
この頃の日本では、西洋文化を積極的に取り入れるようになっており、
十二宮の星座や惑星の位置を基にした「西洋占星術」が日本に紹介
されました。
1925年には「赤とんぼ」などで有名な作曲家・山田耕筰さんによる、日本初の西洋占星術の本「生まれ月の神秘」が、1966年には占星術師・門馬寛明さんによる「西洋占星術」が出版され、また新聞や雑誌で「今日の運勢」が取り上げられるようになり、一般庶民にも親しまれるようになりました。
なお、現在のような最もメジャーな占いになったのには、1970年代に星占いを連載し始めた
女性ファッション誌「anan(アンアン)」と「non-no(ノンノ)」
の功績です。それまでも星占いを掲載する女性誌は60年代からあったものの、毎週載せたのはananが最初であり、その後女性誌には占いコンテンツが定着したのです。
このようなことがきっかけとなり、
星占いとは恋愛を占う女性のもの
といったイメージが強くなったのですが、1989年になると読者の約8割を男性が占めるゲーム雑誌「週刊ファミ通」でも占いコンテンツをはじめたのです。
男性雑誌の占いコーナーは、箸休めとなるコンテンツとされましたが、経営者でも政治家でも野心と不安が大きい人ほど人生の先行きを知りたがるため、それに応えるのが占いだったのかもしれません。
いかがでしたか。
今回は星占いの伝来についてお伝えしましたが、日本に最初に伝わったのが西洋占星術ではなくインド占星術だったことに驚きを隠せないのでないでしょうか。
大河ドラマ「光る君へ」をご覧になった方はお分かりいただけるかと思いますが、陰陽師・安倍晴明が天体を観測するシーンはとても印象的です。平安時代の星占いと現代の星占いとは違いがあるものですが、太古の昔より続く星空を観測してみると新たな発見があるかもしれません。
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